この前の日曜日、10月3日は秋晴れの一日でした。
今年は、コロナ禍ということで不耕起栽培の稲刈りは小規模で・・・とのことでしたが、直前に感染者数が減り緊急事態宣言の解除もされたということで、ご近所でお世話になっている長野工機さんの田んぼには、地元を中心に約20名が参加されました。
今年は私たちサップグリーンの「にわとり祭り」も同時開催。
コロナ禍でもありますのでごく小規模なものでありましたが、鶏の屠殺・解体から試食まで体験(見学)していただきました。
屠殺・解体というと生々しいイメージをお持ちの方が多いですよね。
それをなぜやろうと思ったのか。
私たちは日々、生命と向き合い、扱うことを生業としています。
卵を利用してくださってる方にももっと鶏のことを知っていただきたいと思ってい流わけですが、作物の豊作を祈ったり感謝したりするお祭りと同じようにお肉や卵に感謝する祭りはなかなかありませんよね。
私たちはしょっちゅう鶏を屠殺しているわけではありませんが、鶏に感謝をこめて『祀る』ことがどういうことなのかを考えてきました。
既にご存知かもしれませんが、今年、サップグリーンには、ブロイラーがいます。
言わずと知れた品種改良という人間の都合で作られた鶏です。
本来ならば人工的なケージの中で、肉として育てるためだけに開発された飼料をひたすら食べ続ける鶏たちを正反対の環境であるサップグリーンでそだっった彼ら。
こんなにかわいいひよこの時にやってきて、成長とともに私たちのチキントラクターに入って育ったわけですが、この子たちを通じて私たち自身が鶏肉のことをあらためて考えさせられ、お米やお野菜と同じく私たちの「食」を支えてくれている家畜・家禽のあり方を多くの方と語り合うことが一番の供養となるのではないかと考えたしだいです。
稲刈りイベントに合わせた理由は、稲を刈り取ることと鶏を締めることを感じていただきたかったからです。
籾を実らせた稲を刈ることは、子孫を残そうとしている稲を殺すこと。家畜家禽だけではない農作物すべてに生命があってそこから私たちはエネルギーをいただいているということを感じていただきたいと思ったわけです。
私たちは農作物にも家畜家禽同様、感情があると思っています。
畑や田んぼで農薬をふりかけられた作物はどんなメッセージで嘆いているだろう。
いろんな想いがあるから私たちの鶏にはできるだけ感情豊かにエネルギッシュに過ごしてもらいたいし、そのための努力は惜しむつもりはありません。
今回、屠殺した5羽は生け贄じゃないですが、ある意味において犠牲になったと思われるかもしれません。
でも、これまでにも原因のわかるものやわからないもの、数々の鶏の死を見てきた自分にとっては、できることなら鶏の全ての死が意義のあるものであってほしいという願いがあります。
この日、日齢75を迎えたブロイラー、5羽。
チキントラクターのほかは、一日から二日に一回程度は外で自由に動き回りながら大きくなってきましたが、どの子も2Kgに達していませんでした。
肉鶏としては体重が軽く「失格」なのかもしれませんが、もちろんそれは人間の勝手な物差しでの判定ですよね。
以下、念のため、写真を選んでおります。
屠殺の流れを説明させていただきますと、このようになります。
鶏を逆さまに吊って頸動脈を切って血を抜き、用意した70℃のお湯につけて毛穴を開いて羽根を取る。
羽根をきれいに取るとこんな感じになります。
その後、解体。捌いていく工程となりますが、今回、イベントとしては焼き鳥(炭火による網焼き)がメインだったので、いわゆる両方の手羽、両方のモモを取り分け、ムネ肉とモモ肉は、一口大に刻みました。あとは内臓をはずして、レバー、心臓、砂肝、膵臓を取り出しました。
5羽のうち1羽は、中抜きにし、“ビア缶チキン”にしました。
鶏を捌かれる方はお気づきかと思いますが、右モモの皮が裂けてしまっているのは中抜き初挑戦だった自分の手の大きさに問題があったということです。それから、ぎりぎりまで完璧な絶食年なかったためパンパンの素嚢(そのう)を首の皮を切って上から取り出したということから見栄えが悪くなっており、これが今回の反省点ですね。
味は格別。参加者の皆さんに楽しんでいただいて大成功に終わりました。
特別、記録しておきたいことは屠殺の場面から小さな子供たちが見ていたこと。そして、彼らがほんとに美味しい鶏肉を笑顔で食べてくれたことです。
それぞれ親御さんと、生命を語り合う場面はとても微笑ましく、目の前で鶏が死んでゆくのにとてもやさしい会話が飛び交っていたこと。
あえて「屠殺・解体」だけは見たくないとおっしゃっていたお母さんのSNS投稿をここに貼らせていただきます。
🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷
@sapgreen_farm
さんで育てていたブロイラーを絞めて解体する所を見るという人生で初めての体験をしました。
わたしはビビっていたのですが娘が見たいということで恐る恐る行きましたが、、娘は何を考えていたのかとても集中して見てました。当の私も思いの外負の感情は全くなく、食べる食べられるまでの過程をしっかり直視できました。走り回っていた鶏が食として食べられるという命の循環を今回見ることができてよかったなと感じます。食べるところまでいられなかったけど、今回感じたのは子どもの方が偏見なく命の循環をしっかり見つめられるんだなぁ。
スーパーに売っている鶏たちを食としてしか見れていないのは頭も目もそれが人間に与えられるものとして当たり前なことという認識が植え付けられていて、こういう機会があると命ありがとう、って思えるよなぁ。。
息子も終わった後だったけど、よく見て感じたことをお喋りしてました。
こういう自然や農や食を考えさせられる環境にいられて感謝です🍀
子どもたちが大きくなった時、どのような感じかた考え方をするようになるのかなぁ、、
そんなことを感じた1日でした😊
🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷🌺🌷
現代社会において、一般的な暮らしの中では狩猟の必要性はないし、スーパーに行けばどんな肉でも魚でも部位ごとにパックされたものを買えます。
いざ、自分でやろうとすると偏見の目で見る方も少なくないでしょう。
自分で飼っていた鶏を殺して食うなんて、、、。笑
でも、そういう方にこそこういったイベントにご参加いただいて私たちの考えを見て感じていただきたいですし、ほんとはそれから卵も食べていただきたいです。
安全な食とはなんなのか。安心できる卵や肉とはどういうものなのか。
私たちは鶏への思いがありますから、これからも全てオープンにして伝えていきたいと思っています。