今日もイベントのご報告の続きです。
急きょ開催が決まったということもあり、2週間で参加者がどれだけお集まりいただけるだろうかという心配があったわけですが、関心のある方にお集まりいただきました。
初めての方も経験のある方も皆さんとご一緒に命の勉強の始まりです。
今まで生きていた生体を屠殺・解体をし、美味しい料理としていただくということ。そこから気づき考えることはどんなことでしょう。。。
初めて経験する方は、その生命の温かさから生きていたものからエネルギーをいただくことをはっきりと感じたそうです。
また別の男性は、「自己流でやったことはあるけれど心構えを聞いて、より鶏のことがわかった上で生命のエネルギーを恵みとしていただけたことにとても感謝しています。」とコメントをいただきました。
二日にわたってそれぞれ1羽ずつお命を頂戴したんですが、連日、積極的に親子で参加してくださる方がいたり、
これまでにも未就学児の子供さんが参加してくれたりもしましたが、小さい子供だから血を見るのはどうか、グロテスクなものを見て心理的な影響をご心配される方がおられますが、自分が関わるこういったイベントでは、強烈なショックがないようにしていることや、それ以上にふだんから自然の恵みをいただいていることを一緒に考えながら進めますので、どの子も鶏料理をぺろっと平らげて満足してくれるんです。
それはイベントとして主導する立場としては、目標を達成したような瞬間であったりします。
唐揚げや焼き鳥はおそらく嫌いな方がいないですよね。
大人も子供も一緒に楽しめる料理であるとも言えます。
では、その美味しい鶏肉は、どんなものを食べて成長するのかということをみんなで考えましょう。
もちろんスーパーに並んでいる鶏肉は、それ用に開発された飼料で短期間で効率よく作られた肉です。その不自然なまでの成長スピードは手のひらの中のひよこを2ヶ月足らずでびっくりする巨体になるほどです。もちろん人間の都合で「品種改良」という考えのもとに作られた不自然なサイズの若い美味しい肉です。
つまり人間が作った怪物のような鶏を、人間が作ったハコの中で、人間が作ったエサを食べさせて作られた肉です。不自然であることに違いはないですよね。
美味しくなかったら需要もないんでしょうけど、残念ながら美味しく安く作られています。
それを我々は年間、14万羽も消費してるんです。
50日で肉のために殺される鶏は、筋肉が増大するわけですが、ご想像通り心臓の負担が大きく長生きはできないと言われています。
そういう現実がありながら、鶏を愛することとはどういうことか、卵を産み続けるとか美味しい肉になるとか、そんな効率よりもその子を健康に育てるということ。
それは逆に卵の味を良くし、肉は小さくても旨味が強くなるということが実際にあるわけです。
鶏が大好きで健康を維持してくれるスーパーフード、発酵飼料づくりのレクチャーもさせていただきました。
発酵させるためのコツや考え方。
鶏のエサでありながらなんておいしそうなんだと感じられた方も少なくないはず。^ ^
今回、屠殺した烏骨鶏は、すっきりした脂で旨味が溶けだした美味しいスープに。
これはラーメンがいける!と、こちらは二日目。烏骨鶏ラーメンになりました。
本当に身体に沁み込むような旨味とエネルギーと。その恵みにただただ感謝して自分の体が喜んでいるのがわかりました。
理屈ではない誰かの教えでもない10歳でも50歳でも自分自身の生きてきたスピリットやそれを支えてきたもの、そんなところをくすぐる何かを皆さん、感じられてたのではないかなぁと思います。
新鮮な鶏肉から多くの栄養を摂り入れるだけではなくて、それ以上に生命を考えることだと思うんです。食肉として利用する鶏の生命だけではなくて、自分の生命や周囲にある生命。。。
自分のルーツや今、自分が置かれた立ち位置、境遇、そんなもの全てを認めて全てが有難いと心から感謝の気持ちに包まれる。
屠殺・解体は、確かに血を見ます。
我々も同じように真っ赤な血が流れ、生きています。
健康なときは健康なんてどうでもいい?
仕事や遊びが最優先?
食べ物なんて欲しがるものを口に詰め込めばいい?
それで体が動いてるからそれでいい?
自分も確かにそうでした。
心臓病になってしまったからこそ感じることもあるかもしれませんし、その心臓病になった自分は、生きている生かされている幸福感はとんでもなく大きかったりするんですよね。
一つの命を犠牲にして、気付かされること。
それはとても大きな幸福感です。
皆さんも機会があればぜひ、ご経験ください。
視野が大きく広がり、気づかなかったすぐそこに大きな幸せがあるかもしれませんよ。
あ、ちなみに自分自身、不幸ではありませんので。念のため。^ ^