国産の杉の木を使って移動式の鶏小屋を作る時に、どんなことを考えているかと言うと、
設計寸法、仕様どおりに作ることとかお使いになるお客様や鶏のことはもちろんですが、ひとつひとつの材がどんな山でどんな気候で育ったかという事を考えています。
プリンが作られるのを目にする時もまた
その卵がどんな鶏から生まれたもので、その鶏がどんな環境で育ったのかを考えます。
古典的なものや近代的なもの、いろんな便利なものに囲まれて私たちは暮らしてるわけですが、すべて地球にある資源であったり自然界の命あるものから与えられ満たされていると感じます。
「鶏に対する愛情が深いね。」と言われることが多いのですが、チキントラクターを作るにあたってそれが自然の中で小さな循環を産み出すものであることとヒトが自然の恩恵に対してやっていくべきことだと信じているからそこに至ったのかもしれませんね。
もうひとつ言えば、鶏は間違いなくヒトよりも先を進んでいるんじゃないか、あるいはヒトが理解できなくなったことがあって鶏がそれを伝えようとしてくれてるのではないかと、感じることがあります。
鶏だけじゃなくおそらく野鳥や野生の動物もそうかもしれませんが、じつはヒトは力があるだけで退化していってるんじゃないかと思うことがあるのです。
せめて自然に負荷のかかるモノづくりはしたくないと思います。
名前がわからない草があっても「雑草」と呼ぶのは好きじゃない。
家畜や家禽にとってのそれはフレッシュな野菜であって自然の循環の中での役割りを目にしてるからでしょうか。
とにかく厄介者扱いされる雑草もなくてはならないものなのです。
地球温暖化、その他環境の変化の中で草がなかったら夏の気温はさらに高くなります。
これからどうなっていくんだろう。みんながそう思ってるでしょう。
自然エネルギーに頼らざるを得ないんだけれど、ヒトが自然とともに進化するには自然界の循環に目をむけて学ぶことが大事なのかもしれません。